こんにちは、くらぴょんです。
今回はナポレオンやヒトラー、スターリンなどの独裁者が愛読していた「君主論」の解説をします。
以前にも戦争プロパガンダの解説をした記事を投稿しました。
記事の内容にあることを行った人たちはこの本を読んでいたと思われます。
戦争プロパガンダを学ぶ上では避けては通れないのがこの本です。
最近ではリーダーシップやマネジメントの本としてもおすすめされることがあります。
また、ハーバード大学やマサチューセッツ工科大学(MIT)やシカゴ大学では課題図書にもなっています。
現代でも通用することが書かれているということでしょう。
なので、ぜひ読んでみてください。
加害行為は一気にやってしまわなくてはならない。恩恵は小出しにやらなくてはいけない。
最初に残虐さを小出しにして、時がたつにつれて、やめるどころかますます激しく行使する場合は国を滅ぼすことになるだろう。
自分の立場を守る必要上、残酷さをいっきょに用いて、そののちにそれに固執せず。できるかぎり臣下(国に仕えるもの)の利益になる方法に転換する場合、神と民衆の助けが得られ、国の保持に適切な対策を講じることができる。
なぜ、加害行為を小出しにするのがいけないのかというと、民衆が安心することができず、反乱を起こす可能性があるからです。
逆に、一度に行えば、民衆は安心することができます。
コロナウイルスは短いスパンで加害を加えています。
第○波というように。
これでは人間は安心することができません。
日本では2年半たった今もマスクを外すことができていません。
これは研究でも確かめられています。
中断するとよくも悪くも人間は順応ににくくなります。
残酷なことを何度も何度もやると、人は順応できず、ストレスが溜まります。
科学的にも辛いことは一気にやったほうがストレスは少なくすみます。
対してポジティブな感情を伴うことは中断した方が順応しにくいので、ポジティブな感情は長引きやすいのです。
こう考えると、ディズニーが20時に花火を上げるのもわかる気がします。
花火を見てポジティブになった感情を21時に閉園することで、「まだここにいたい」という思いを中断させているのです。
それによって、「また行きたい」と思うのです。
愛されるより、恐れられるほうが、はるかに安全である。
マキャベリも両方兼ね備えているのが望ましいと答えています。
しかし、両方兼ね備えるのは難しいです。
では、どちらを取るのが良いのか。
恐れらた方が良いです。
なぜでしょう。
マキャベリはこう答えています。
一般に人間についてこう言えるからである。
そもそも人間は恩知らずで、むら気で、猫かぶりの偽善者で、身の危険をふりはらおうとし、欲望には目がないものだと。
人間は恐れている人より、愛情をかけてくれる人を容赦なく傷つけるものである。
その理由は、人はもともと邪なものであるから、ただの音量絆で結ばれた愛情などは、自分の利害のからむ機会がやってくれば、たちまち切ってしまう。
ところが、恐れている人については、処刑の恐怖がつきまとうから、あなた見放されることがない。
独裁者は国民だけではなく他の人からも恐れられているイメージはあると思います。
最近だとロシアの独裁者もそうですね。
ドイツの独裁者も恐怖を使って、国民を先導しました。
やはり、恐れられているリーダーでいる方が、人を動かすという意味では良いのでしょう。
ただし、常に怖いと長続きしないと私は思います。
そこで、優しいというイメージも与える必要がでてきます。
人間は手にとって触れるよりも、目で見たことだけで判断してしまう。人はただ結果だけ見てしまうことになる。
君主にとって信義を守ることがどれだけ称賛されるものかは誰もが知っています。
君主以外でもそうですね。
有言実行、約束をも守る人は尊敬されます。
しかし、この時代では信義を気にかけず、奸策(悪だくらみ)を巡らせている方が大きな事業(戦争)を成し遂げていたそうです。
彼らの方が信義に基づく君主を圧倒していました。
戦いに勝つには2種類の方法があります。
法律か力(現代だと警察)です。
前者は人間本来のものであり、後者は獣です。
前者だけでは不十分で後者の助けが必要なことが多いです。(法律だけではなく警察が必要)
したがって君主は人間と獣の両方を兼ね備えている必要があります。
つまり、民衆には人間らしく平和や信義、正義を見せつけておいたり、演説したりします。
行動では反対のことをします。この時代では戦争。
それでも、国を守れば、悪いことをしても正しいと称賛されます。
また、正義のために戦っていると民衆に思わせることができます。
これ誰かのやり方にすごく似ています。
そう、ヒトラーです。
一つの悪徳を行使しなくては、自国の存亡にかかわるという容易ならぬばあいには、汚名などかまわずに受けるがよい。
たとえ美徳のように見えることでも、これを行っていくうちに自分の破滅に通ずることがあり、他方、一見、悪徳のように見えても、これを行うことによって、自分の安全と繁栄がもたらされる場合があるからである。
国家を守るためであれば、評判は気にせず実行するべきです。
そうして、国家の安全が確保されれば、君主は称賛されるからです。
会社でも同じです。
できれば会社は大量リストラはしたくないでしょう。
リストラは美徳と思われていないからです。
ですが、業績が回復すれば、実行した役員や社長は称賛されるでしょう。
大事業は全てケチとみられる人物によってしか成し遂げられていない。
君主はけちだという世評を意に返すべきではない。
君主が気前の良さを評判にするのは危険です。
ですが常に気前の良さが悪いわけではありません。
君主になる過程であれば有効です。
しかし、君主になってから気前の良さを出すのは有害だと言っています。
いずれ、気前よく振る舞えなくなり、貧困から逃れようとして強欲になって、人の恨みを買うかのがオチだからです。
もう一つ気前の良さが有効な時があります。
それは他人も物である時です。
例えば、戦利品は気前よく振る舞うべきです。
会社でいうと、成果を上げたものには金を払いましょうってことですね。
日本の歴史上の人物も戦利品を気前よく振る舞って勢力を上げた人がいます。
源頼朝です。
御恩と奉公は中学校でも勉強したと思います。
他人のものを気前よく振る舞ってますね。
鎌倉幕府はなるべくしてなったのだと今だから思います。
運命は女神だから、打ちのめし、突き飛ばす必要がある。
あなたは運命を信じますか?
マキャベリは半分は運命かもしれないが、半分は変えられると考えていました。
運命に頼る君主は運命が変われば滅びてしまうが、時代に合わせてやり方を変化させられる君主は成功し、時代と自分の行き方がかみあわない君主は不幸になります。
だが、時代も状況も変化してしまえば衰微(衰退)する。
これはまさに、今の時代でしょう。
変化が激しい時代には常に時代に合わせて変化していくか、自分が時代を作るしかありません。
どちらにせよ、必ず変化しなければなりません。
また、過去の成功体験が通用するとは限りません。
むしろ通用しないことの方が多いでしょう。
その場合も自分のやり方に固執するのではなく、方法を変える必要があります。
どの時代も変化できるものが強いということですね。
まとめ
今回はマキャベリの「君主論」の解説をしました。
今後も名著解説をしていくつもりです。
お楽しみに
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